前回、フランスには日本語にはない独特なフランス語表現 “Expression française”(フランス語特有の表現/慣用表現)がたくさんあるとお伝えしました。
今回もフランス語表現の中から、中世から受け継がれてきたフランスの独特の表現を4つご紹介します。
Avoir bon pied, bon œil【直訳:良い足と目を持っている】
「Avoir」=「持っている」(英語のHave)、bon(良い)pied (足)œil(目)なので、直訳すると「良い足と目を持っている」という意味になりますが、これはフランス語の表現のひとつで「活力があり、元気いっぱいである」、「健康である」ということを意味します。
この表現は、17世紀に2つの表現の結合から生まれました。
16世紀のフランス語には« aller de bon pied (良い足取りで行く=順調に進む)» という定型表現が存在しており、それは「速く歩ける(=良い足を持っている)」ということを連想させていました。また、中世では、「良い目」というのは「健康さ」と同じ意味を持っていました。私たちが今日使用しているこの表現は、これらの2つの古い意味が由来しているのです。「早く歩ける→良い足を持っている」は物事がうまく行っている順調さを、「良い目」は健康を表しています。
つまり、「順調さと健康を合わせ持っている=元気が良い」という意味になるのです。
中世の時代から用いられていた表現が受け継がれて今日でも使われているとは驚きですね。
例)Oh ! reprit-il avec son sourire tranquille, j’ai bon pied, bon œil et bonne épée. — (Amédée Achard, Belle-Rose, 1847)
おお ! 彼は静かな笑みを浮かべて話し始めた、私は元気いっぱいであり、そして良い剣を持っています。 — (アメデ・アシャール、ベルローズ、1847)
Mettre les pieds dans le plat【直訳:お皿の中に足を突っ込む】
Mettre=入れる、les pieds=足、dans le plat=お皿の中に
この表現は、直訳した文章からは全く想像も付かない意味を持ちます。直訳すると「お皿の中に足を突っ込む」ですが、実際には「へまをやらかす(厄介な状況になる)」という意味で、美食や料理とは何の関係もありません。
その歴史は1800年代初頭にまで遡ります。当時のプロヴァンスでは「gaffer dans le plat(=厄介な状況になる)」という地元の定型表現が流行していました。 (gaffer=へまをやる、失言をする、dans le plat=お皿の中で)。
直訳すると「お皿の中でへまをやる」ですが、当時「plat(お皿)」という言葉は浅くて泥だらけの水域を意味し、「gaffer(へまをする)」は、「patauger(泥の中を苦労して歩く、もたつく、まごつく)」と同義語とみなされていました。「浅瀬の中を苦労して歩いている状況」をイメージしてください。普通は浅瀬なら歩くのに苦労はしませんよね。
つまり、浅瀬なのに苦労して歩くという状況は「面倒で厄介な状況」にあることを比喩しています。これが「厄介な状況になる」という由来となったのです。今日では”gaffer”の部分が”mettre”に置き換わり「へまをする(失言をする)=厄介な状況に陥る」という状況を指すようになったのです。
例)Bien décidé à mettre les pieds dans le plat dès qu’ils seraient rentrés, Philip, en l’absence de Karen, voyait son courage et sa détermination s’envoler. — (Valérie Gans, Les toxiques, 2011)
家に帰ったらすぐにへまをやらかそうと決意していたフィリップは、カレンのいないところで、彼の勇気と決意が吹き飛ぶのを目にしました。 — (ヴァレリー・ガンズ、『Les otics』、2011)
Coucou! というフランス語学習サイトでは日常会話の『Leçon38 Tromperie』で、この “Mettre les pieds dans le plat”という表現を実際に使ったフランス人ネイティブスピーカーの会話を学習することができますのでよかったらぜひ見てみてくださいね(要会員登録)。
Donner de la confiture à des cochons【直訳:豚にジャムを与える】
Donner=与える、confiture=ジャム、à des cochons=豚に
豚に真珠を与えても豚はその価値を知らないので何の意味もありませんよね。どんなに立派で素晴らしいものでも、その価値を知らない者にとっては何の役にも立たないものを表す表現を、日本ではお馴染み「豚に真珠」と言います。
誰もがこの表現を聞いたことがあるでしょうが、由来となったのは聖書の一文からで、新約聖書の一文の中に「神聖なものを犬に与えてはならず、豚の前に真珠を投げてはなりません」と記載されています。
日本ではそのまま豚に真珠として残っていますが、フランスでは時代と共にこの与えるものが進化しジャムが真珠の代わりになりました。しかしその意味は変わらず、感謝できないものを与えても無駄です、という意味になります。
日本語でもお馴染みのことわざですが、フランス語では真珠がジャムに置き換わっているのがとても興味深いですね。
例)« Il ne faut pas donner de la confiture à des cochons », dit le proverbe… oui, car le cochon se contente généralement des épluchures… il se satisfait trop souvent du médiocre ! — (Enfance, Amours & Sexualité, traduit de l’américain par Olam Salomon, 2015, 3e version enrichie par Yves Philippe de Francqueville, 2016, p.73)
・「豚にジャムを与えてはいけない」ということわざがあります…そうです、豚は皮の皮で満足することが多いからです…凡庸なもので満足することが多すぎるのです! — (『子供時代、愛とセクシュアリティ』、オラム・サロモンによるアメリカ版からの翻訳、2015 年、イヴ・フィリップ・ド・フランクヴィルによる充実の第 3 版、2016 年、p.73)
Tomber dans les pommes【りんごの中に落ちる】
Tomber=落ちる、dans les pommes=りんごの中に
大昔のフランスでは「se pâmer=(感動・快感などで)しびれたようになる、ぼうっとする」という動詞は「s’évanouir(気絶する)」という動詞と同じ意味で使われていました。そして「pâmes(気絶する)」と「pommes(りんご)」の発音が似ていることから、今日では”tomber dans les pommes(りんごの中に落ちる)”が「気絶する」という意味で使われるようになりました。
以前、フランス人は頭の中でイメージして話をすることがとても多いということをお伝えしました。りんごの中に落ちていく様を想像してみてください。一時的に意識を失ってしまう、まさにその状態がなんだかとてもよく表れていると思いませんか?
例)
– Vous vous sentez mal ? demanda Louis.
– Pas très bien… J’ai peur de tomber dans les pommes… — (Patrick Modiano, Une jeunesse, Gallimard, collection Folio, 1981, page 59)– 気分が悪いですか? ルイは尋ねた。
– あまり良くありません…気絶するのが怖いです… — (パトリック・モディアノ、Une jeunesse、Gallimard、フォリオ コレクション、1981 年、59 ページ)
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回も興味深い言い回しがたくさんありましたね。
フランスでは中世の時代から受け継がれてきた表現もたくさんあり、今の私たちの時代まで語り継がれて大切にされてきた表現方法とも言えます。これから何十年、何百年と月日が流れても、きっとこれらの美しい表現方法はフランス人の間で受け継がれていくことでしょう。
独特な表現方法で、様々な角度から物事を見ることができて視野が広がりますね。ぜひ上記の表現だけでなく、フランス語独特の言い回しや新たな語彙を覚えて、少しずつフランス語を習得して行きましょう!