フランスでは、Court-métrage(=短編映画)と言って、上映時間の短い映画がよく制作されており、有名なものも多いです。特にYouTubeに公開されているフランスの短編映画は、私の知る限り日本よりも多く、再生回数もとんでもない回数(何百万回、何億回など)を出しているものもあり大変人気です。
私自身も、フランスのCourt-métrageは大好きで、フランス語の聞き取りの練習にもなるので、いくつものCourt-métrageを数え切れないぐらい観てきました。
そこで今回は、私のお気に入りのCourt-métrageをご紹介します。フランス語やフランスの文化や習慣が好きな方なら、きっと気に入ってくれるはずです。今回は、フランスのCourt-métrageの中からフランスに10年住んでいる私がおすすめする短編映画4選をご紹介します。
作中で実際に出てくる便利なフランス語表現も学ぶことができますので、ぜひ最後までご一読ください。
Mélodie(メロディ)
一番最初に私が見たCourt-métrageがこちらです。同時に、今でも一番好きなCourt-métrageです。タイトルは「Mélodie(メロディ)」。登場人物、セリフ、シーンの移り変わりなど全てがシンプルかつ新鮮で、特に主人公のMélodieが独り語りする部分や、フランス語での話し方などがとてもフランスらしく印象的です。
「型(枠)にはまりたくない—皆と同じようには生きたくない」という、自由な人生を好む主人公Mélodie(メロディ)。自由奔放に生きながらも、人生に特別な意味を見出せない彼女が、長年の友人であったArthurが恋人を見つけ、出会ってわずか3ヶ月にもかかわらず一緒に住むためのアパートを見つけて家庭を築こうとしている姿に心を動かされ、自分もそんな風に、恋人を見つけたり、仕事を見つけたりして人生をもっと謳歌したい、と努力する…。という、特別に際立った奇妙なストーリーでもなく、至って普通なストーリーなのですが、映像やストーリーの進み方がとても素敵で、釘付けにさせられます。そして観終わった最後には、なんだかやけに胸に刺さるものがあるのです。
(あらすじと感想 ※下記ネタバレあります)
自身の趣味・情熱である絵を描くことと、折り紙をしながらのんきで無頓着に、何の心配もせず暮らしているMélodie(メロディ)。しかし彼女の大切な友人であるArthurは、そんな彼女と対照的に、仕事もバリバリこなし、将来の展望も見通しもある社会的な男性。そんなArthurが、突然「出会い系サイト」で出会ったMarionという女性と、出会ってわずか3ヶ月にもかかわらず結婚、そしてアパートを見つけて一緒に住み始める予定だとMélodieに告げます。それを聞いたMélodieは、Arthurを取られた嫉妬心から思わずくってかかってしまいます。「出会って3ヶ月で一緒に暮らすなんて、早すぎない?それに、一緒に目指していた絵画の学校も全部、そのために辞めるなんて…。あなたの人生を台無しにする気なの?」
するとArthurは今まで思っていた感情をMélodieに吐き出します。「ねえ、じゃあ君は、絵を描いたり、折り紙をしたりすること以外に何かしているの?人生ってそんなに簡単なものじゃないんだよ。人生っていうのは、愛を見つけ、仕事を見つけて、家庭を築くことなんだよ。僕たちはもう子供じゃないんだ、君だってもう大人になるべきじゃないかな!」
その瞬間はArthurの言葉が心に刺さったMélodie、しかしその通りだと、彼女自身自覚しているのです。そのため、Mélodieは彼と同じように「出会い系サイト」に登録し、まずは「愛」を探すことから始めようとします。しかし、出会う男が全て怪しい男性で(出会い系サイトの象徴のようですね)、私にはこういうのって向いてない、と挫折し始めます。そんな折、Arthurにまた再会し、叱咤され、もっと努力が必要だねと励まされます。そして次に、「愛」ではなく「仕事」を探し始めます。
結局、どこにも雇ってもらえない現実が続き、ちょっぴり落ち込んでベンチにこしかけるMélodie。そのベンチに落ちていた広告の紙で、特技である「折り紙で鶴を折る」ことを無意識に披露した彼女。すると、そこへ一人の男の子がやってきて、「わあ、すごい!どうやったの、これ?」と彼女の作った折り紙に感銘を受け、興味津々に尋ねてくるのです。「どんな風にやったのか、教えてよ」と言うのです。Mélodieは男の子に、鶴の折り方を教えてあげます。…
その時に、ふと今までのことや、Arthurの言った言葉が回想されます(私はこのシーンが流れるたび、なぜか毎回、泣けてしまうのです)。
この最後のシーンで、伝えたいことは「言葉」では表されません。しかし、イメージや回想や映像で、こんな風に言っている気がします。「大事なのは、他人に言われたからやるのではなく、君自身がどうしたいか、どう生きるかなんだよ」
大切だった友達のArthurに恋人ができて、去ってしまう悲しさ。彼のように愛を見つけようと、出会い系サイトで様々な男性を探すも、良い人が見つからず落胆してしまう。それでもめげずに次は働き口を探して幾度も応募するも、どこへ行っても雇ってもらえない悔しさ。
そんな時、思いもよらないところから、自分を必要としてくれる人が現れる。鶴の折り方を教えてよ、と尋ねてくる男の子。「人生、うまくいくことばかりではないよ。それでも、いつだってどこかで君を必要としてくれる人がいるんだよ」そんな風に、優しく語りかけてくれている気がするのです。
人生って、描いたようにならなくても、予想もしないところや思いもよらないところからチャンスが舞い込んできたりするものですよね。そんな知っていたはずの当たり前のことに、さりげなく気づかせてくれる素敵な短編映画だと思います。
映像やストーリーの進み方、全てに無駄がなく、また登場人物も少ないので、全体的にシンプルで見終わった後にとてもスッキリした気持ちになれます。
私の一押しCourt-métrageです、ぜひご覧になってみてくださいね。
ここで、映画の中に出てくる、役立つフランス語表現を一つご紹介します。
【役立つフランス語】: rentrer dans un moule = 皆のようになる(型にはまる)
(06:11)”Je veux pas rentrer dans un moule, je veux pas faire ou acheter ce que tous le monde fais ou achète juste parce que ça fais bien.”
(私は皆のようにはなりたくない(型にはまりたくない)し、他の人がやっていることや、見た目が良いからという理由だけで買ったりしたくない。)
Je veux pas =…したくない
rentrer = …の中に入る
rentrer dans un moule = être comme tout le monde(皆のようになること・型にはまること。)
LE PETIT MONSTRE(小さいモンスター)
続いてのおすすめCourt-métrageは、「LE PETIT MONSTRE(小さいモンスター)」です。
こちらのCourt-métrageは、ストーリーがとても奇妙で面白いです。ぞくっとするけれど、でも愛らしく可愛い小さいモンスターのお話です。映像と音楽がとにかく美しく、鑑賞者を飽きさせません。
(あらすじと感想 ※ネタバレあります)
配達員であるLéo(レオ)は、いつも注文してくれる常連の女の子Emmyが気になっており、彼女にアプローチするために電話番号をそっと配達物の中に忍ばせます。Emmyもまんざらではない様子、2人は連絡を取り合い、Léoはついに初めて彼女の家に配達ではない時に訪れることになります。しかし、彼女の家の中の様子がなんだかおかしい。カーテンは閉めっぱなし、部屋は真っ暗、小さい灯りが灯っているだけ…。しかしLéoは、そんな神秘的な雰囲気の彼女に逆に惹かれます。
良い感じになってきた2人、しかしその時、奇妙な音がクローゼットの中から響きます。気になったLéoは、隠したがるEmmyを説得して、クローゼットの中を確認すると、中から奇妙な小さいモンスターが…。最初はびっくりして逃げようとするLéo。しかしEmmyの「やっぱりあなたも他の人たちと一緒ね」という言葉に心を打たれ、なんとかモンスターと一緒に共存することを決意する。だんだんモンスターとの共同生活にも慣れ始めてきた頃、モンスターの世話があるからとずっと家にいて外出をしないEmmyのことが気になり、友達に紹介もしたいし一緒に外へ行こうと彼女を外に連れ出そうとするLéo。そんな光景を見たモンスターは、Emmyを取られてしまうと思い込み、Léoに怪我をさせてしまいます。逆上したLéoは、モンスターをクローゼットの中に一晩閉じ込めることを決意します。
クローゼットの中に閉じ込められたモンスターは、怒りで巨大化し、復讐のために寝ているLéoの首を絞めて殺そうとしますが、枕の下に隠し持っていたナイフでモンスターの足を切って難を逃れます。しかし、足を切られたモンスターは更に逆上し、Léoを喰らってしまいます。それを見たEmmyは、今まで可愛がってきたモンスターが巨大化し、更に愛する男性を食べてしまった光景を見て恐怖を感じ、後退りしながら、モンスターが太陽の光に弱い(太陽光を当てると死んでしまう)と知りながら、カーテンの方へ駆け寄ります。「ごめんね…」と言いながら、カーテンを思い切って開け、モンスターに浴びせてしまいます。致命傷である太陽光にあたってしまったモンスターは、やがて命尽きてしまいます。それと同時に、喰らってしまったLéoがこの世に生還し、命を吹き返します。
ここでめでたくハッピーエンド、となりますが、このCourt-métrageで言いたいのは、この後のような気がします。モンスターの中から出てきて命を取り戻し、すっかり元気になったLéo。2人はめでたく恋人になり、Emmyも外出できるようになります。しかしなんと、力尽きてしまったと思われたモンスターの子供(?)らしき小さいモンスターが、実はまた机の下に棲みついており、Léoが愛らしく餌を与えているシーンで終わるのです。
この映画の言いたいところは、実はこのモンスターは飼い主の女の子=Emmy自身だったのではないかと。そして、一度太陽の光を浴びて消滅してしまったかのように思われたけれど(=Emmy自身が外へ出るのが怖いと思い込んでいたけれども)、実際にカーテンを開けて、自分の心の中の闇(=モンスター)を消してしまったら、意外と大丈夫で、外出もできるようになった。けれどまだ心の中に、いなくなったと思ってしまっていたモンスターが居てくれていた。自分の影(=モンスター)がまだ居ても、私は私。普通の女の子として外出もできるようになり、無事に平和な生活を送れるようになった。
というエピソードなのではないかなと思うのです。つまりEmmy自身の影=モンスターだったのではないかと。
というのも、復讐しようと逆上したモンスターがLéoを喰らってしまう直前、Léoは必死にモンスターがいかに危険であるかを説得します(同じアパートの猫を全部食べちゃった真犯人がそのモンスターである、ということを説き伏せながら)。しかしEmmyは聞く耳を持たず、それどころかLéoに、「Arrête de vouloir contrôler ma vie ! (私の人生を支配しようとするのはやめて!)」(17:39)と言います。その時に、Emmyとモンスターが同化している場面があるのです。つまりこのモンスターは、初めからEmmyの化身で、分身のような存在だったのではないかと。
太陽の光を浴びること、外に出ることが怖くて怯えていた小さい女の子、Emmy。そしてその分身であったかのようにアパートに棲みついていたモンスター。でも、太陽の光を浴びて、外に出ても、大丈夫だった。そして、自分の中に棲みついていたモンスターも、ちゃんとまだ生きていてくれた。…
全てが丸く収まり、ハッピーエンドとして明るいフィナーレで終わります。つまり言いたいのは、「自分自身が怖くて、怯えているようなものがあっても、実際には勇気を出して、一歩を踏み出してしまえば大丈夫なんだよ」ということのような気がします。
こちらもとても良くできたストーリーで、またフランス語で字幕が付いているため、登場人物の口の動きと合わせながら鑑賞するとフランス語の勉強にもなるため大変おすすめなCourt-métrageです。
【役立つフランス語】: ça n’a rien à voir avec … = …とは何の関係もない
(17:20) Léo “Mais putain, Emmy, ouvre les yeux !! Il veut du mal ! Depuis qu’on est ensemble, je t’ai jamais vu sortir ! “(ねえ、エミー、目を覚ましてよ!彼は悪さをしたいんだ!僕と付き合ってから、君が外出するのを見たことがないよ!)Emmy “Mais c’est moi qui suis comme ça, ça n’a rien à voir avec lui “(いいえ、私は元からそういう人なのよ、彼とは何の関係もないわ!)
Un jeu soi-disant marrant (自称楽しい遊び)
Un jeu soi-disant marrant – Court Métrage Harcèlement Collège Périers
次にご紹介するのは、少々深刻な社会問題です。数年前からフランスで社会問題になっている、学校での「いじめ問題」についての短編映画です。タイトルは『 Un jeu soi-disant marrant – Court Métrage Harcèlement Collège Périers (面白いと思われるゲーム)』。「Un jeu」は遊び、「soi-disant」は「いわゆる、…と言われている、自称の」という意味です。つまりこのタイトルは、いじめている本人たちにとっては面白いと思われている=自称の遊び、という皮肉です。
こちらのCourt-métrageでは、もちろん役者さんが演技をしているとはいえ、見ていると大変心を痛めます。主人公の女の子Emmaが中学で壮絶ないじめに遭います。靴箱に意地悪な手紙を入れられたり、SNSでの心無いコメント、尻軽女とからかわれたり、椅子を後ろに引かれて落とされたり、食堂で食べ物を奪われたり、体操服を隠されたり、濡らされたりして、挙句の果てに帰りに着ていく服がないので、Emmaは体操服のまま帰宅することになります。心配した母は「どうしたの、今日は着替えてないじゃない?」と声をかけますが、Emmaは「着替えるのが面倒くさくて」と答えます。
しかし、この映画の良いところは、最後のシーンで先生が、生徒たちに質問します。
「皆さん、今日は授業は行いません。その代わりに、私は今からあなたたちに大切なことを話します。みなさんお気づきのように、今日Emmaはここにいません。あなたたちの大切なクラスメイト、Emmaは、自ら命を絶とうと試みました。彼女の母が私に今朝電話をくれました。彼女は大変動揺しており、何が起きたのかわかっておらず、私もわかっていません。そのような理由から、今日はあなたたちに紙と鉛筆を用意してもらいます。そして、その紙に、あなたたちが気づいたこと、考えていること、見たこと、全てを書き出してください。Emmaのこの行動について、私たちによりよく知らせるために。」
すると同級生たちは、次々にEmmaをいじめていたクラスメートのことについて、見たことを書き始めます。「Joris(いじめていた張本人)がEmmaの服を隠した」「Jorisとその仲間がEmmaを突き落とした」など、先生の言葉とEmmaの行動に心を揺さぶられ、奮い起こされた同級生たちが、次々に真実を語り始めます。…
このようにして、先生やその周りの大人たちが必死に呼びかけることで、他の同級生たちが真実を話し、救ってくれる場合があります。生徒たちが紙に書いてくれたことは、きっとEmmaにとっても助けになるはずですし、先生やEmmaのお母さんにとっても、大変貴重な手助けとなることでしょう。そして、真実をありのままに描いてくれた同級生たちの「心の優しさ」が、本当は彼女を救いたかった、でもJorisとその仲間に次は自分が標的にされるのが怖くて、それができなかった、という心境が現れており、それがこのシーンでひしひしと伝わってくるのです。
そして最後に、このようなエンドロールが流れます。
” Le Harcèlement scolaire touche plus d’1 personne sur 5.7 % des collégiens en sont victimes. “(学校でのいじめは5.7人に1人以上が被害を受けており、その中には中学生も含まれています。)
この言葉から考えさせられることは、現在でも、そして数年前から、フランスで特に深刻な問題になっている中学校でのいじめ問題についてです。周りにいる同級生や大人たちが、なんとか被害者を救ってあげたいのですが、それが行き届いていないところがあるというのが現実です。しかし、広告やキャンペーンでこのように呼びかけています。
「いじめやサイバーハラスメントで苦しんでいる人が周りにいたら、どうか助けてあげてください。ジェスチャーをしてあげてください。あなたが声を一言かけてあげるだけで一人の人間が救われます」と。
実際に、私はフランス在住中にこのような類の文章が書かれている旗や、電車の中でのポスター、広告、ポストに入っているチラシやテレビのCMなどで、たくさんこのようなメッセージを目にしました。その度、心を痛めました。それはつまり、それだけいじめで苦しんでいる人が世の中にいるということ。
私たちが出会っていないだけで、見知らぬ中学や高校に、今も何百人、何千人といじめで苦しんでいる子たちがいるのです。そういう光景を、もしあなたが電車の中、街の中で目にしたら、どうかジェスチャーをしてあげてください。そう呼びかけているのです。
最後の同級生たちが紙に真実を書き始めるシーンになるまでは、演技とはいえ、とても見ていて痛々しくて、助けてあげたくなる場面がたくさん出てきましたが、このエンディングのおかげでなんだか救われた気持ちになれました。
【役立つフランス語】:avoir la flemme de… = ~をする気がない、面倒臭い、無気力である
(10:31) Maman d’Emma ” Salut ma chérie, ça va ? ” (おかえりエマ、元気にしてた?)
Emma ” Oui “(うん)
Maman d’Emma ” Tu es restée avec tes affaires de sport ? “(あら、あなた体操服のままじゃない?)
Emma ” Oui… ben, j’avais la flemme de me changer. “(うん…だって、着替えるの面倒くさかったんだもん。)
Camille(カミーユ)
最後にご紹介するのがこちらのCourt-métrage 『Camille』です。
こちらも、3つ目の話題と同じく、Cyber-harcèlement(サイバーハラスメント、InstagramなどでのSNSを通じたイジメ)がテーマとなっています。
主人公の高校生、Camille(カミーユ)はInstagramにとある投稿をしましたが、それに対して全高校の同級生たちから「(皮肉で)わあ、なんて可愛いの、セクシーだね、ストリップをしない?」などをからかわれ、侮辱され、嘲られることになります。また、元カノからも皮肉で嘲笑され、彼女の卑猥な写真まで送られる羽目に。傷ついたCamilleは、CPE ( le conseiller principal d’éducation =主任教育顧問、フランスの中学校および高校の公務員のこと)に相談することを決めます。
そしてCPEの顧問の先生にそのこと(今朝から高校の同級生みんなにからかわれて、嘲笑の的になっていること)を相談しますが、先生はCamilleが投稿した写真を見ながら「そうね。でも、そういう写真を投稿したら、どんな反応が来るかぐらい分かるでしょう。ねえ、私は時間がないのよ、そんなことに構ってられないの」と一蹴してしまい、まともに取り合ってくれません。…
中学や高校では、このように本人が苦しんでいても、顧問や先生は助けになってくれるかどうかは分かりません。もちろん、信頼できる大人(先生)が居て、本当に親身になってくれる人もたくさんいます。ですが、そればかりではないのが現実です。そのため、このようにCourt-métrageを制作し、上記のように、あなたの一つのジェスチャーで一つの命が救われるということを懸命に呼びかけているのです。
今日、小学校や(特に)中学校、大学など、あらゆる教育機関でこのいじめ(SNSいじめ)が問題になっています。フランスでは特にこのSNS(InstagramやSnapchat、Facebookなど)を通じてのいじめが大きな社会問題になっており、一時期はローカル新聞紙に一面に取り上げられるほどになりました。
フランスの短編映画Court-métrageは、このように大変考えさせられる、心を揺さぶられる内容のものが多く、見ていて時には感動して涙したりします。ぜひ一度、ご覧になってください。きっと、何か伝わるものがあるはずです。
【役立つフランス語】:en prendre plein la gueule = さんざんにやっつけられる
(5:59) Madeleine ” Bon, Camille, pourquoi tu voulais me voir ? “(さて、カミーユ、どうして私に会いたかったの?)
Camille ” Bah, depuis ce matin, je me fais insulter par tout le lycée par instagram, j’avais juste posté une photo mais je m’en prends plein la gueule. “(実は今朝から、インスタグラムで学校中から侮辱されていて、僕は写真を投稿しただけなんですが、本当にさんざんにやっつけられているんです)。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は、深刻なテーマであるいじめ問題についてなど考えさせられるテーマなども扱った、私の好きなおすすめのフランスCourt-métrageを4作品をご紹介しました。フランス語の字幕が付いているものもありますので、フランス語の勉強にもなりますし、何よりどの映画の人物も迫真の演技で感情移入させられること間違いなしです。
言っていること全てがわからなくても、きっと、何か心に響くものや掴むものがあるはずです。ぜひどのCourt-métrageも、一度はご覧になっていただくことをおすすめします。今後もこのような興味深いフランス映画などをご紹介していきます。